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崇教真光の教えと
『真理=神理』の教えとの違い
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 このHPは、崇教真光に邪神扱いをされて名誉を傷つけられている水の神から、名誉の回復と正しい祀りをする切っ掛けになるようにと、ほぼ強制的に作成依頼されて上枠したものです。

 崇教真光教団にごたごたが続いたり、一所懸命に活動する人が命を落としたり、仕事がうまく回らなくなるのは、『真理=神理』から外れて、神から頂いた本来の素晴らしい教えが、教団の幹部等によって間違って教えられているからです。

 このHPでは、本来の教えの何処がどう間違って信者に教育されているのかと、どう変えたら良いのかを具体的に書きました。

『真理=神理』の研究会では、毎月行なっている勉強会の他にも、御要望に応じて随時に学ぶ機会を設けています。
 どうぞお問い合せ下さい。
 

教えの違いの項目   真光の業  『真理=神理』
 救霊の方法  お額Gへの手かざし

1人が離脱するまで平均で3年掛かると言われている。
御霊は身体から抜けても何処に行けば良いのか解らない。
そこに居る御霊の数だけのアカシックレコードのコピーを戴いて御霊に投げる。
御霊は恨んでいた原因が自分の過去世にある事が解る。
 次に御霊が天国に行く方法の『光の玉』を投げ与える。
身体から離れて指導霊に導かれて天国の講習会場に行き、学んで神界を目指して努力して神になる。 
身体の不調な所の対処方法  手かざしのみ 念の為に憑いている御霊の数をアカシックレコードのコピーを戴いて確認する。浄化の光を投げて、再度数を確認して、残っていたら御霊が天国に行く方法の『光の玉』を投げてから指導霊様に引き渡す。 
これだけで殆どの不調は軽快するが残っていたら『癒しと活力の光の玉』を投げる。
先祖祀りの方法  父方の先祖のみ祀って母方は無視する。
奥さんの先祖が腹を立てて奥さんに胃癌を作る。
最近は父方の先祖も供えられた物を食べる事を『神様』から許されなくなっている。

父方も母方も養子でも後妻でも妾でも総ての御先祖様に食事等の供養が行き届く。  
障ってくる
神に対して
 
 何も出来ない 悪い事をする神には魂の悪い所を浄化して残った良い所を 大きく育て直して、良い神にしてから『真理=神理』を学ばせてから『光の主神様』から任務を頂戴できる様に導いてあげる。 
しつこく障っている御霊に対して  霊査して諭すが救えない 御霊に話し掛けて御霊のアカシックレコードのコピーを見せると御霊は納得するから天国に行く方法の
『光の玉』を与えて指導霊に引き継ぐ。
御霊は天国に行く
ので障りが無くなる。  
身体の急所12番の扱い  真光業の急所の中に△印に12番と書いてあります。
△は御教示全集に籠目(カゴメ)の説明で神様からエネルギーを戴く印と書かれています。
しかし真光では全く無視しています。
古い信者の殆どはこの場所を押すと痛みがあり深く押しこめない。初代の岡田さんは肋骨の中側に指の第2関節まで入れていたが、今の信者は入らない。 顔に吹き出物が有っても治らない、狭心症になる人が多い、胃に不快感を感じて酒も油っ濃い物も美味しくなくなる。
膝痛の時に足の急所の3点に手かざししても治らない。
12番の斜め上から癒しの光を圧縮して威力を増した『光の玉』を投げ込むと一瞬で痛みが無くなる。 
左記の顔の吹き出物、狭心症、胃の不快感、膝痛などが瞬時に治ったり軽快する。 
手かざしの光の強さ  弱くて長時間施光すると疲労する 御守りを身に付けて手かざしすると強力な『神様の光』が放射される。真光の道場で手かざしすると今迄霊動が出ていない人が大霊動が出て驚く!お浄め名人になる。他人に施光すると自分が楽になる。 

一般社団法人
真理イコール神理の研究会のHP https://www.god-law.com

崇教真光教団に対する働き掛けの経緯
(平成27年 2月15日記載)

 崇教真光教団に対して、16回の働き掛けをしましたが、自分達の権益が脅かされるとでも思っているのでしょうか、当方を霊媒信仰だと誹謗中傷するばかりで、聞く耳を持っていません。

 四十八の神様の「スの神様」のお話しですと、現在の崇教真光教団の信者の中で、初代さんの教えに回帰するべきだとの考えを持っている方々に対しては、手かざし時に「ス神の光」を復活させつつあるそうです。
 この方達が手かざしをすれば、3代目に盲目に追従している信者よりも、とっても強い御光が放射される様にしてあるそうです。

 『真理=神理』の研究会では、いつでも門戸を開いていますから、『宇宙創造神』に通じる祈りと、『宇宙創造神』から賜った、『幸せ一杯な家庭を築く方法』と正しい先祖祀りの指導を行いますよ!
 そうすると、多くの信者の方が、抱えている、悩みや苦しみから解放されるでしょう!


以下が崇教真光の教えの間違いの解説です。
 
  
第1番目に

 特に重大なのは、火の神水の神十字に組んで、大きな御働きを為されるという事を説いていて、教団の御神紋に表示し、主神のご神体の脇には伊都能売様の御尊像をお祀りして、組み手が朝晩奏上する「天津祈言」では“神ロキ”“神ロミ”のみ力もちて、と火の神水の神に祈って、「伊都能売大国魂大国主祈言」では水の神様も祈りをしていながら、幹部の心にも組み手の心にも、水の系統神に祈りを捧げているという意識は皆無ですが、これは水の神様にとても無礼な事です。

 御経綸の進展図では、ほどけていた火の神
水の神が、再び十字に組んで天国文明を完成させると描かれているのに、間違った解釈をして‘政権交代をして、火の神様が与党になったのだから、野党の水の神様に祈ったって、力が無いのだから祈ったって無駄だ!’などと、思い違いをしている幹部が大勢居るということです。

 今の世は、火の神水の神が、全く対等の立場で運営されているのです。

 更に幹部が組み手に教える時には、火の神正神と言い、水の神の事を副神と言いますが、その次に、副神=邪神と言っている幹部が大勢いる事です。

 幹部も組み手も、祈言の奏上時にはくちでは「神ロギ(火の神)神ロミ(水の神)の御力もちて」と水の系統神にも祈りながら、意識の中には水の系統神の事は全く無いという不思議な現象になっているのは、とても不思議な事ですが、これは聖凰さんが「天津祈言」と「伊都能売大国魂大国主祈言」と「神向き讃詞」の解説をキチンとなされなかったからであると思います。
(教団で出版している「神向讃詞解説の本」には「神向き讃詞」の内容が理解できる解説は全く有りません。これもおかしな事です。)

 水の系統神のご担当は物質全般ですから、人間の肉体を作ったり、産業を作り支え発展させて、経済(お金)の面を担当していらっしゃいますから、間違っている教えを真に受けて教団の活動を一所懸命に行なっている方ほど、水の系統神に攻撃されて、生活が苦しくなったり、病気や事故で命を落としているのです。

 組み手も幹部も癌になった方で、命が助かった人は殆ど居ないでしょう!
 (私が指導した方は、全員が死の淵から生還していますが、その後に、教団の指導通りに戻った方は亡くなっています。)
 (熱心に勉強指導をしていた道場長が若くて苦しんで死んでいき、お金の不正をしたり自我を押し通して教勢を弱めている道場長が蔓延る(はびこる)反面で、真面目なお主枝和人会長などが次々と癌で死んだり、心筋梗塞になったり、大怪我をしたり、奥さんが大清浄化で苦しんだりしている現状は、何の為の崇教活動かと、大疑問に思っている組み手の声が私の所に沢山届いています。)

 更には、初級研修に於いては、主神の御経綸上で必要があるから仏教を広めてきたので、「主神の教えを説くのに仏教やキリスト教の教えを引用しています。」と言いながら、仏教を邪教と罵(ののし)り、僧侶を邪教を広めて来た奴らなどと罵り軽蔑している幹部や組み手が大勢いる事です。 

 これでは水の神達に恨まれて、酷い目に遭わされるのは当然の事です。

 高山の世界総本山の建てられた所は、古来から水の神が6000名も封じ込まれている場所でした。

 世界総本山が完成したら火の神十字に組んで、この世を地上天国にする為に一所懸命に働こうと、完成を待ちに待っていた水の神様方は、昭和59年11月3日の人類祭で聖珠さんのお言葉に期待していたのですが、水の神の事には全く触れずに式典を終わってしまったので、とても失望していました。

 大神殿のど真ん中には、聖凰さんへの御神示によって、斎庭の横幅と同じ大きさの大水槽が設けられていて、み祭ではその大水槽に向かって、「神ロギ火の神様と、神ロミ水の神様のみ力をもちて、神の子の力を甦らせ給え・・・」と祈っておきながら、水の神様の事を蔑ろ(ないがしろ)にしているのは、一体どういう訳なのでしょう。

 しかし、その後の全国の道場に於いて、水の神副神=邪神と言う幹部が多くなってきて、水の神は一時は困惑しましたが、その後は大きな怒りの心を持つようになり、熱心に教団の活動をしている方々に対して、いろいろな面から妨害したり、その方々の命を取るようになったのです。

解決策は、当然の事ですが、今までの水の神達に対する非礼を詫びて、教団を上げて正神火の神と共に水の神副神としてキチンと意識する事です。

 毎日何度も奏上している「天津祈言」と「伊都能売大国魂大国主祈言」では、水の神にお願いしておきながら、多くの幹部も組み手も心の中には水の神の事は全く意識していないと言う事が異常なのです。


平成21年には、当時の御代理だった第3代の教え主までもが、崇教真光教団は縦の教団ですとか、水の神⇒副神=邪神と言うようになってしまったのでは、もう崇教真光も水の神の怒りで教団の存続そのものが末期状態になってしまったのかもしれませんね!
 水の系統神達は、平成21年の立春大祭での御代理の御教示の中で、とても酷く愚弄されたので、全員が真光憎しになってしまいましたから、真光教団を良くしようと働いている方は、水の系統神の攻撃を受けるようになってしまいました。


 前崇教局長が在任中に癌の手術をしたという情報がありますが、これはもう崇教真光教団には霊的な救いの力が無いと言う事の表れですね
 
 

第2番目に  最新の緊急情報です!!
 
既に崇教真光の指導で祖霊祀りを行なった家でも胃の調子が悪くなる方が続出しています。
 この程、その原因が判明しました。

 崇教真光流で祖霊祀りを行っていても、その家の御主人の御先祖様でさえも、食事の御供養を受ける事が許されなくなってしまったのです。
 その理由は、この家は御主人の先祖だけで造った家ではなくて、奥さんの御先祖様の力と功績が半々なのです。
 それなのに初代さんの弟子の生半可の知識の者が、初代の教えを曲げて解釈して、間違った祖霊祀りを弘めていて、この「崇教真光の教えの間違い」のホームページで長年警鐘を鳴らしているのにも関わらず、最近はもっと徹底して曲がってきて、祖霊祀り伺いの時から奥さんの先祖の事を総て除外してしまったので、不公平だと言う事で『宇宙創造神』がお怒りになり、御主人の先祖も供養を受ける事が禁止されてしまったのです。

 ここから下は、以前からの祖霊祀りの間違いの解説です。

 重大なのは、祖霊祀りの内容が間違っていて、

 位牌に書いて有る「○○家」の解釈が違っている事です

 その為に、折角、祖霊祀りをしても、その後にミソギがきつくなるとか、不幸現象が増してしまう事さえ起きています。

 何処が違うのかというと、初級研修では、○○家の先祖は、ご主人の側は、ご主人の両親と、そのまた両親と、そのまた両親と、連綿と続き、奥さんの側は、奥さんの両親と、そのまた両親と、そのまた両親と、連綿と続いて主神にまで続いているご先祖様の総てをお祀りしている、と言いながら、実際の祖霊祀りに於いては、奥さんの先祖と婿養子の先祖の事は祀らずに、その家の先祖だけを祀っている事です。

 その為に、奥さんの実家から援助してもらっている家では、この家の先祖だけが救われて、奥さんの実家の先祖達が救われないので、奥さん側の先祖の戒告で夫婦仲に亀裂が生じたり、ご主人の身に命の危険が生じたり、奥さんが実家を継いでいる兄弟姉妹と仲たがいするような事が起きてしまうのです。

 解決策は、この家が「山田家」で「太郎と花子」のご夫婦だとすると、祖霊祀りの挨拶の時に、下記のように挨拶することです。
 『中央の「山田家先祖代々之霊位」のお位牌は「現在の山田太郎・花子家」の総てのご先祖様をお祀りしています。山田花子の実家の
○○家のご先祖様方も、どうぞご一緒にお食事等のご供養をお受け下さい。山田太郎のご先祖様方、どうぞ宜しくお願い申し上げます。』とキチンと申し上げる事なのです。


 祖霊祀りが済んでいる家でも、下記のように申し上げましょう!

 『中央の「山田家先祖代々之霊位」のお位牌は「現在の山田太郎・花子家」の総てのご先祖様をお祀りしています。妻、花子の実家の○○家のご先祖様方も、どうぞご一緒にお食事等のご供養をお受け下さい。先にお懸かりの山田家のご先祖様方、どうぞ宜しくお願いいたします。』とキチンと申し上げましょう。

 上記のように申し上げると、奥様の胸に急に喜びが湧いてきて、落涙する方が多いです。

※ 念のために、1週間は食事をお供えする時に申し上げると良いでしょう!

★ 但し、奥さんの実家の位牌は、嫁ぎ先の御仏壇には入れてはいけません。
 その位牌の方が仏壇から出して欲しいために、奥さんが家を出たくなってしまいます。
 婿養子の場合は、ご主人の実家の位牌をこの家の御仏壇に入れると、ご主人が家を出たくなります。

★ 何かを行なおうとする事に妻が反対する事が多い旦那様、早速に奥さんを仏前に連れて行って、上記の挨拶をしてご覧なさい。
 すぐに効果が出て、その後は「妻が反対する」現象が無くなって、協力してくれるようになりますよ!

 何故か夫婦仲が上手く行かないと、気付いている方へ

 お二人が結婚する前の、お互いの相手のご先祖様に対するご挨拶をしていないと、ご先祖様が、嫁としてとか、婿として、認めて下さらない方がいらっしゃって、御夫婦の仲がスムーズにいかないのです。

 特に、奥さんに対して、ご主人の両親とか小姑達が意地悪をする時は、奥さんが結婚前にお金を持っている場合が多いです。
 お金が有るので、嫁ぎ先に対して不遜な心でいて、其の心を見通しているご主人のご先祖様から怒りをかっているのです。

 『真理神理』の勉強会では、下記のように指導しています

<お嫁さんが、嫁ぎ先のご先祖様に、下記の様にお詫びする事で解決します>
 嫁ぎ先の御仏壇の前で申し上げるのが最も良いのですが、直ぐに行けない場合は、自分の家で、上座にご先祖様達が数百名も数千人もいらっしゃると思って、その方々に対して下記のご挨拶を申し上げます。

“嫁いだ時に挨拶も致しませんで、大変ご無礼を致しました。 改めてご挨拶させていただきます。この度は、○○さん(夫の名前)と結婚させていただきまして誠にありがとうございます。ふつつか者ではございますが、この家の嫁として1日も早く馴染ませていただけますよう、一所懸命に努力いたしますので、どうぞよろしくご指導の程、お願い申し上げます。”

<ご主人側も、お嫁さんのご先祖様に、下記の様にお詫びしましょう>
“嫁いで頂いた時に挨拶も致しませんで、大変ご無礼を致しました。 改めてご挨拶をさせていただきます。この度は、娘さんの○○さん(妻の名前)と結婚させていただきまして、誠にありがとうございます。まだまだ至らぬ私ではございますが、○○さん(妻の名前)を路頭に迷わせたり、困らせたりすることがないよう大切に致しますので、どうぞよろしくお願い申し上げます。”

 お嫁さんが、ご主人の両親にきつい態度を取る場合は、ご主人の両親がお嫁さんのご先祖様に感謝の挨拶をしていない場合です。
 改めて、ご挨拶してお礼を申し上げると、お嫁さんが穏やかになります。

<舅さんや姑さんも、お嫁さんのご先祖様に、下記の様にお詫びしましょう>
“嫁いで頂いた時に挨拶も致しませんで、大変ご無礼を致しました。 改めてご挨拶をさせていただきます。この度は、娘さんの○○さん(お嫁さんの名前)を息子の△△(息子さんの名前)の嫁として嫁がせていただきまして、誠にありがとうございます。○○さん(お嫁さんの名前)が□□家の嫁として一日も早く家風に馴染めるように、一所懸命ご指導をさせて頂きますので、どうぞよろしくお願い申し上げます。”

 もう一つ大事な事で、哺乳瓶の供え方があります。

 御仏壇にお食事をお供えする時に、写真の左のように哺乳瓶を置いている方は、水子がミルクを飲めないので、腹を立てて障っている事が多いです。
 お菓子は包みから出して、リンゴなどは皮を剥いて食べ頃に切って楊子を差して、そのまま食べられる様にお供えすると指導を受けているのに、なぜ哺乳瓶には気を配らないのでしょう!?
 乳首が斜め下に向いて、乳首にミルクが満たされていなければ、水子はミルクを飲めないから、気付いてくれるようにと、いろいろな働き掛けをしてきます。
 それでも気付かないていると、腹を立てて障ってきますよ!

 哺乳瓶は写真の右のように傾けて、お膳の一番前に置きましょう!
 いきなりこの形に置くと乳首からミルクが飛び出しますから、乳首を上に向けて、乳首を指で摘んで中の空気を出してから傾けて、それから指を離します。
 そうすると、乳首から空気が入って、指で潰した乳首が膨らみますから、ミルクがこぼれません。

 この説明を見て間違っている事に気付いたら、直ぐに哺乳瓶にミルクを入れて、それだけを御仏壇に供えて、配慮が足りなくて不親切だった事を水子達にお詫びしましょう!
 それだけで、原因不明の不調が治る方が多いですよ!



第3番目に

重大なのは、玉串の書き方‘祈り’の仕方が間違っているから、霊障解決しないのです。

 ‘税務署に対する説明が楽なように’と言う理由で、お玉串は自分自身の名前で書くように指導していますが、これは霊障を解決するのには逆効果なのです!!

 霊障の強い方が自分や家族の名前で御奉納していると、恨んで憑いている方が「自分達だけ救われようとしやがって、許さん!」と益々強く障ってきますから、下記の様に書いて、恨んで憑いている方のお名前で数多く御奉納させていただくと良いのです。  

例 個人にだけ障っている時
  山田太郎に障っている霊一同
     ↑山田太郎の部分を障られている人の名前に入れ替える。

  山田太郎に胃癌を作っている霊一同
     ↑山田太郎と↑胃癌を適宜入れ替える

例 祖父母、両親、自分のように、代々に強い障りが有る時
  山田家の先祖家族を恨んでいる霊一同
     ↑山田を障られている方の名字に入れ替える

  山田家の先祖家族が非道い目に遇わせてきた霊一同
     特に重症・重篤な時には、
     上記の両方のお名前で【お玉串を御奉納すると良い。

 病人用の祈りと、怪我人用の祈りと、【お玉串】の書き方は、下記をクリックして下さい。
 御玉串の書き方

 但し道場では不適切だと注意を受けるようです。本山で御奉納しましょう!
 

第4番目に

重大なのは、救い主教え主の体の面を通して、万霊が救われる。」   と言う事です。

 こんな事は絶対に有りません!!

 こんな事を言っているから、それこそ何十万もの大勢の亡くなった信者と信者の先祖が、救い主教え主の体に取り憑いてしまうのです。
 その為に初代教え主であり救い主と言われている岡田聖凰氏は段々に心臓を痛め、突如神去られてしまい、二代目の教え主である岡田聖珠さんも段々に体調が低下して、平成9年には会った人が驚くほどにやつれてしまい、夏には入院する病院まで決めたほどになってしまったのです。

 それが何故元気を回復したかというと、私が8月の月始祭の御教えの最中にそれらの霊達を聖珠さんの体から離れるように、真光の教えの中に有る、「今地獄にいる霊がたちまちの内に天国に行かせて頂ける教え」を諄々と説いて聞かせて、沢山の憑霊達がたちまちの内に天国に許されて、一斉に体から離れたからなのです。

 その後も10月の月始祭の御教えの最中に、体の濁毒の詰まっている急所の詰まりを流したので、元気になられたのです。

「今地獄にいる霊がたちまちの内に天国に行かせて頂ける方法」のヒントは、初級研修の2日目に鍵となる文言が出てきます。

 『幽界に於ける魂の修行の方法』は、をクリックして下さい。

 プリントアウトをしたい方は、ここをクリックして下さい。
 
 

第5番目に

 重大なのは、天津祈言の奏上時に、祈言の意味を解釈していないから、とんでも無い箇所でブツン、ブツン、と切ってしまい、間違った意味になっている事なのです。

(正しい意味と奏上法は、ここをクリックして下さい。)

「神様」から頂けるみ光の強さの違いを、貴方が簡単に実験できますよ!

◎普通の会話程度の声で良いですから、従来の奏上法で天津祈言を奏上して、
 身体が温かくなるか確認してみましょう。
◎その次に、上記の正しい奏上法で奏上してみましょう。
 身体で感じるエネルギーの違いに気が付く事と思います。

 更に重大なのは、この祈言は、「主の大御神様」に、とてもご無礼な祈言なのです。
 例えれば、熱っぽいから病院に行って、「風邪を引いたからタミフルで治して下さい。」と言っているのと同じなのです。
 文章を読めば、どの言葉だか解るでしょう?
 「主の大御神様」に、「神ロギ(火の神)と神ロミ(水の神)を用いて、真光で治して下さい。」と言っているんですものね!

 この失礼な文言を消して、奏上すると、今までの奏上方法の数十倍にも感じられる、強烈なみ光に包まれて、身体が熱くなりますよ!

天津祈言は、本来はこの様でなくてはならないと言う、
『宇宙創造神』に通じる、正しい天津祈言を奏上しますから、聞いているだけで『神のみ光』が満ち溢れる現象を体感してみましょう!

 正しい天津祈言を聞くには、下記の画面の真ん中にある再生ボタンを押してください。

  繰り返し聞く場合は、画面下の再生ボタンをクリックしてください。




崇教真光の天津祈言の解説はここをクリック
  
  

第6番目に

 重大なのは、伊都能売大国魂大国主祈言の意味が不明なままで奏上している事です。

 掲示板の「過去ログ3」で9月9日の「ヒロ」さんの質問に対して、この祈言の意味が解る大きなヒントを書きましたから、そちらもご覧下さい。

 伊都能売大国魂大国主祈言の解説はここをクリック
 

 

第7番目に

 重大なのは、神向き讃詞の意味が解説されていない事です。

 スカッと理解できて嬉しくなる神向き讃詞の解説はここをクリック

 教団で発行されている岡田聖凰著の「神向き讃詞解説」の本の中には、祈言集の神向き讃詞の解説は有りませんから、意味は解りません。

          
第8番目に

 重大なのは、お浄めの最重要箇所に気付いていない事です。

 場所は12番です。時計の文字盤では12が一番上でしょう!ここにだけに神のマークである△印が書かれています。手かざしの仕方は、「御教示選集のフのみ働き」がヒントになります。

 12番に手かざしする方法はここをクリック
 
 
 

本物の
神組み手
になりたい方へ

 真光の教えは、本来は神性化を目指す筈なのですが、現実は神性化にはほど遠い事は皆さん自身が感じている事だと思います。

 真光の教えは『神』から戴いたものですから、とても素晴らしいものなのです。
 しかし、真光教団では意味の解釈が『神』の教えの神髄に到達していないから、実行するのに役に立たなくて、力が発揮できていないのです。

 真光の教えを正しく理解して、日々実践すれば、肉体が有る内から魂は天国に行かせていただける事が、『神』から確約されているのですが、『神』の教えの意味が解らないから実践できないので、不幸現象から救われないのです。

 真光の門下の方、『真理神理』の研究会で教えの神髄を学ぶのに、真光教団を退団しなくても良いのですから、思い切って学びに来てみませんか!
 きっと目から鱗が落ちて、迷妄雲で掩われていた真理の峰が見えてきて、魂の底から歓喜が湧いてきますよ!

 そして地獄で苦しんでいる霊達を救う力を付けて、邪神と言われている御神霊も諭して救う力を付けて、自分もして、『神』のご用に沢山にお使い賜れる、幸せな魂に昇華させて戴きましょう!

神々を表す文字には、神界から示されている意味があります。
『神』⇒『宇宙創造神』
「神」⇒ 四十八之神
 神 ⇒ 国津神と現津神



何をしても苦しい事ばかりの人生を送っている方にお伝えいたします。

 この世に産まれてきてから苦しみばかりと言う方は、人間として産まれてくる前の霊層がとても高いのです。
 ほとんどの方が現津神界(仏教で言う菩薩界)から来ていて、希には国津神界(仏教で言う如来界)から下りてきて、大きな任務を背負わせられています。

 そして運命に障っているのは、貴方がいた同じ神界で敵対していた御神霊で、今は神界の地獄に封じ込められている方ですから、障る力が強くて、貴方が幾ら努力しても障られますから開運出来ないのです。

 だから今世は基本的に『真理神理』を学んで世界に広める役を果たさなければ、敵対している御神霊が救われませんから、苦しみから出して戴けないのです。
 真理神理』の研究会に入って、一緒に活動しましょう!

 活動内容は真理神理』の掲示板の書込をご覧下さい。
         ↑ ↑ ↑ ↑ クリックしてね!

    


金生 麗水きんせい れいすい
こと
内海 間嵯男うつみ まさお

霊的な経歴

1975年08月16日身延山の宿坊に知り合いが行っていたので、長男を同行して泊めていただい時の事ですが、お寺の本堂にも挨拶せず、遠くに見える奥の院を教えられても眺めただけで挨拶せず、宿坊のご本尊にも挨拶しなかった。
  
夜9時過ぎに布団に入ったら周囲の板壁から出てきた13〜14人の修験者の装束の幽霊に取り囲まれて、「何者だこいつは、失敬な!」と言われ、とり殺される恐怖を感じたので「南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経、…」と続けて唱えたら「なんだこいつも信者か!」と言って幽霊達は安心して板壁にスーッと消えていき、そのあとは今まで薄ら寒かった空気が急に暖かくなった。
     
1977年 経営者の勉強会の後のホテルでの朝食会で、明治天皇のお孫さんの中丸薫さんとお会いして、「今、貴方の守護霊様と私の守護霊様が、とても懐かしそうにご挨拶なさっています。だから貴方と初めて会ったのに、こうして親しくお話ができるのですよ!」と言われてビックリする。

その時に高橋信次さんの娘さんの高橋佳子さんの書かれた「新創世記3篇」を読む事を勧めて頂いたので、さっそく読んでみて、今までの生き方が間違っていなかったと自信を持った。

1978年 サンデー毎日の記事で紹介された、自分の今までの生きてきた中で家族や他人様に迷惑を掛けたり、悪い事をしたことの反省を徹底して行なったところ、いつの間にか人間のオーラが見えるようになった。
初めは松下幸之助翁(当時84歳)の周囲がキラキラと金色に輝いているのでビックリしたのだが、段々に良く見えるようになり、他人と会ったときや社員の面接試験の時には、心の綺麗さと体の不調な所が解って便利だった。

1979年04月、京都市の円山公園を散歩中に大谷祖廟の石柱に遇い、案内板を読むと、邸内に「親鸞聖人」の御廟があると書いてあるが、午後5時の閉門時間を過ぎていたので、門前で手を合わせて「親鸞様、どうぞ私に七難八苦を与えて下さい。きっと立派に乗り切って見せます。」と祈ってしまった。
これから本当に七難八苦が始まった!

1979年08月、8年間借りていた貸事務所の隣が競売になるので、町内会長と担保に取っている銀行が熱心に頼んできたので、気が進まないのだが購入を決めたところ、急に商売が不調になり、毎月資金繰りに苦労するようになった。
この時以降、連日連夜に霊的な障りを受けて体調が低下し、頭も冴えない毎日を送ることになる。

1980年04月24日、隣の土地を競売で落札したので、期日に日本銀行に払い込むために銀行で借り入れの書類に印鑑を捺してきたら、その夜からとても強い霊的な現象に次々に襲われ、霊能占い師に見てもらったら、今回購入した土地に何十体もの白骨が埋まっていると言われ、掘ってみたら江戸時代の甕棺(かめかん)から木棺、現代の火葬の骨壺まで次々に出てきて、最終的に46体のミイラとお骨を掘り出して供養する。
この掘り出している過程で、深夜に総天然色の数十人の幽霊に、「助けて下さい。長いあいだ暗くて冷たい所に居させられています。」と口々に訴えられて、「解りました、一所懸命に掘らせて頂きますから安心して下さい。だけど堀り残すと困るから皆さんの方でも教えて下さい。」と言ったところ、「ああ、聞き届けていただけてありがとうございます。よろしくお願いいたします。」と全員がスーッと消えていって、翌日から地中深くに埋まっている骨が地面の上から黒く見えるようになり、発掘作業がはかどった。
この時に一緒に作業していた庶務課長が、甕棺に太い若い男の骨が入っていて水が満水に入っている物が出てきた時に「汚ったねー、俺はもうこんなの嫌だい!」と言って、(こんな言葉は言わなければ良いのにと思ったが、この言葉がその2年後に真如苑の霊能者の口から、障っている霊の言葉として「俺たちのことを汚ねえと言った!」と出たのに驚いた。)それからはこの男は手伝わなくなり、間もなく失踪して未だに行方が分からない。
 
その後、体の辛い人には鶏卵位になっている霊が憑いていて、半分が体内に入り、半分が体外に出ているのが見えるようになり、その霊に「肉体を失った方は他人の体に憑いてはいけませんよ。きっぱりとそちらの世界にお行き下さい。」と言うと、モゾモゾモゾッと移動して消えていき、その体の辛い人は急に楽になって喜ぶのだが、その後にその霊が私の体に憑いてきて、自分が幾日間も身体が辛くなって苦しむ羽目になる事を何回も経験した。

1980年10月この土地に3階建ての新社屋が完成したが、社員も落ち着かず、何か不満が充満したり、悪い事をする者が入社してきたりで、会社の業績がガタ落ちになる。
一連の事態で仕事の進行がちぐはぐになり、1981年6月末の1年間の決算で3億5千万円の損失を出した。

1981年 これらの異常事態に、いろいろな方が心配して、いろいろな所に連れて行って下さった中で、天理市にも何回も足を運び、天理教のご神体の甘露台(かんろだい)の踊りの10人の別々な踊りの解説を聞いて、天理教会では意味が解らないと言っていたが、その重大な意味に気付いた。
全員が別々な大切な役をしているのだから、人を見ずにいつも神の方を見て自分の行うべき事を、責任を持って一所懸命に行えば、見ている人には調和の取れたきれいな踊りに見えると言う事だ。
この事は会社や組織を運営する上で、とても大切な事だと気付く。

1982年 真如苑の接心修行で、以前に私が社員にしゃべった事や、妻の独り言や、1980年の土地から骨を掘り出していた時に社員が言った言葉など、当事者きり知らない言葉を霊能者から聞かされた事が数回有り、言葉に発したものは神界と霊界に通じている事をまざまざと知らされた。
また他の霊能者から「貴方が大勢の人を使って仕事をしたり、いろいろな苦労をしているのは、教主様の後を継いで大勢の人を救うお役が有るからです。」と言われて、その時は軽く考えていたけれど、そのあとは神仏に強制的に鍛えられ禊(みそ)がれて、今は大勢の素直な人を救う大役を担う事になった。

1982年10月、連日連夜の霊的な障りで心身共に疲れ果て、金銭的にも大損害で苦しさに耐えられなくて、出張で大阪に行った際に時間を取って、京都の親鸞聖人の御廟に参拝して、自分で願った七難八苦を苦し過ぎるから止めていただけるようお願いするつもりで行ったのだが、社務所内にその時にだけ柱に貼ってあった「半紙に書いた力付けられる言葉」を読んで力が湧いてきて、実際に御廟に参拝した時には弱音を吐いたことをお詫びして、「これからは力強く進んでいきますから宜しくご指導下さい。」とお願いした。
その後のいろいろな重大な事をご指導下さるのは、親鸞聖人のように感じている。

1982年11月初級真光研修会を受講して手かざしが出来るようになり、翌々年3月の中級研修会までに28人のお導きが許されたために、毎月の会の再聴講と、放送機器操作のご奉仕をさせて頂いたので、だんだんに初級研修会2日目の午後に学ぶ内容の中に、霊層向上に重大なヒントが有る事に気が付く。

1982年12月26日に崇教真光の地区長さん達が数名で会社のお浄めに来て下さった。
建物内のアチコチに霊的に異常な所が在ったが清らかな感じになったら、総勢22人居た社員の中の問題社員だけに奇跡が起こり、仕事終いの28日に8人が退職届を提出して、仕事始めの1月5日に6人が退職届を出して寄こした。
全員が悪い事をしていたり、仕事の足を引っ張っていた人達だったので、その後は仕事がスムーズに回り出し、赤字の垂れ流しが止まって黒字が出るようになった。

1983年12月暮れも押し詰まったある日、東京から来ていた友人が駐車場の隣に建っているビルの2階が空いてテナントを募集している事に気が付いて、そこを借りて社長室にするようにと、とても強く勧め「内海さんが借りないのなら俺が借りて群馬の事務所にする。」とまで言うので仕方なく借りることにした。
大家さんに交渉に行ったところ、ご主人の命が風前の灯火のように感じるので、体調が悪くないかと聞いたところ、血管腫で大学病院に入院治療して全快したので珍しいから、翌1月に京都で開かれる学会に大学の費用で出る事になっていて、とても体調が良いと言う。あーあ、もう命が危ないというのに!
結局この方は1984年5月末に再発入院して9月上旬に亡くなった。
この借りた部屋にいると、ドアが閉まっているのに誰かがスウーッと入ってくる気配を感じて、見ても誰もいないし階段下のドアも閉まっているという事が日常茶飯事にあった。
疲れてソファーで仮眠していた時に、強力な金縛りに遭い苦しんだ事がある。

1984年03月に夫婦で中級研修を受講した直後から、発明品のイタズラ電話防止装置に対する異常なマスコミの大反響が有り、来客が相次いで仕事に掛かれなくなったり、その発明品を製造するための取り組みが上手く回らず、結局キチンとした製品が出来なくて、その後の1年間で2億7千万の大損害をだす。

1984年08月、主要製品の組み立ての外注に納品された部材の出来栄えが悪いと、外注先の経営者が電話してきたのだが、口頭で説明されても程度が判らないので、テレバシーをしてみる事にした。
先方の人に部材の出来の悪い部分を凝視してもらい、この様子が私(内海)に届けと強く念じてもらったら、間もなく目を瞑っているのに鮮明なカラー画像が見えて様子が良く判ったので、「ああこの程度なら良いよ!」と答えた。
後日に実物を見たら、テレバシーで見たのと全く同じなので感動した。

1984年08月、イタズラ電話防止装置を製造する資金として、お客様で羽振りの良い方で、私より7歳若い経営者に5千万円の融資をお願いしたら、今は資金が無いからと他から調達して下さり、4千万円を内海さんは真面目だから、と言うだけで無担保で貸して下さった。
このお金が未だに返済できないでいるのだが、この方に対して、思えば思われるという言葉の実体を、とても深く感じさせられている。
この方に申し訳ないという思いで居ると優しく接して下さり、不遜な心で居るとお怒りの態度や、ののしりの言葉を頂くことになる。

1984年11月03日、岐阜県高山市に崇教真光世界総本山が建立され、この日は人類祭と言われ、火の神と水の神が十字に結んで地上天国が出来るという触れ込みで、世界各地からの参加者で賑わったが、斎主である岡田聖珠女史の言葉は水の神の事には全く触れないままで、祭りが終わってしまった。
会場で何か大きな不満の渦を感じたが、それは後で判った事だが、会場内にはその建物が建つ前にその土地に祀られていた6千もの水の神々が、活躍の場が出来ると張り切って参加していらっしゃったのだった。
崇教真光では、その後は水の神の事をないがしろにし続けているので、水の神達は崇教真光に、とても強い恨みの心を持っ事になり、その後の崇教真光に貢献している熱心な組み手(信者)に災いをもたらし続けている。
この無念の思いの水の神達が、私に「崇教真光の教えの間違い」のホームページを作るよう、とても強く要請してきたので、2003年04月13日に開設した。

1985年 人の身体に憑いて体調を悪くしたり、運勢を悪くしている霊は、必ず地獄にいて霊体が冷え切っているので、手かざしで暖かい神の光を当てると、熱くて嫌がるので、その霊に対して「肉体を持った時に、寒い冬の日に冷え切った身体でお風呂に入った時のことを思い出して下さい。最初は熱いけれど、ちょっとの間我慢して入ると、すぐに温かく気持ち良くなったでしょう!それと同じですから、み光りを感謝していただけば、たちまちの内に心底から暖かくしていただけますよ!」と諭して、大人しくみ光りをいただいて楽になってから、「貴方も天国に行きたいでしょう?貴方の考え方と行動を天国にいらっしゃる方と同じになるように反省すれば、たちまちの内に天国に許されるのですよ!」と温かく優しく愛情一杯に諭して、憑霊を天国に導く方法を実行し始めた。
この方法はその後に更に発展させて、威力が向上している。

1985年04月、世界総本山で開催された崇教真光の「第36回上級研修会」に参加して、3日目に上級の御み霊を頂く直前に、本山の拝殿の中で順番を待っている時に、自分の手から、とても強い黄金の光りが放射されて、自分の思うように操れる事が実験できたので、その後のいろいろな場面で応用できて、とても役に立っている。

1986年〜1989年迄、1年に2回の崇教真光上級研修会の再聴講を繰り返した。
毎回、『神』を取るか仕事を取るかと厳しい神試しをいただいて、『神』を取り続けたら、再聴講する度に霊力が大幅に向上した事を実感した。

1990年03月、崇教真光の「第50回上級研修会」を再聴講して、連続10回受講になり、当時の岩井崇教局長に、「ミロク(36)で始まり、ゴット(50)でカミ(十)ですな!」と祝いの言葉を言っていただいた。

1992年〜1997年迄、1年に2回で10回の崇教真光上級研修会の再聴講を繰り返して、累計20回の上級研修の講義を受講した。
今回の再聴講は、神試しは無くて、広範囲の教えを学び理解する機会を与えていただいて、神事に対する知識と理解を急速に高めていただけた。
累計で13回目の講義が始まった時に、全20回の講義の中でこの時にだけ、講師の山田訓練教学部長がおっしゃった言葉に崇教真光の教えが最高で有ると言われる所以は、主神の御経綸が示されている事と、今地獄で苦しんでいる霊が、たちまちの内に天国に許される方法がお示し頂いていると言われている事です。」と言われて、この内の「今地獄で苦しんでいる霊がたちまちの内に天国に許される方法」は既に私が発見して、1985年には実用化して沢山の憑霊を救う成果を上げてきていた。

1995年01月03日に地元の古いお寺を訪ねたところ、そこの住職さんが人に会うのが嫌になってしまい、体重が66sあったのが36sに痩せ細って、大学病院の精神科に入院しているというので、障っているその寺の地縛霊を諭して救い、奥さんに食事の供養を指導したら奥さんが「ああ、身体が楽になりました。」と言って、入院中の住職の体調も良くなり、数ヶ月後に退院して公務にも復帰した。しかし、声が弱々しくてお経が上げられなかった。
この時以来、私自身の仕事がどうにも調子悪くなって業績不振で苦しんだ。

1995年01月07日 崇教真光のご神体の1つである『伊都能売様』のご尊像を御奉戴するので風呂敷包みを開けたところ、身長25pくらいのご老人の神が「やるぞー!」と叫びながら飛び出してきたのだが、余りにも突拍子が無かったので、申し訳ないことですが「えっ、こんなに小さな老人の神様が何をなさるのだろう!」と思ったのだけれど、見えなかった事にして無視してしまったら、その神は拍子が抜けた顔をして戸惑っていたが、スッと消えてしまい、ご尊像だけが残った。
風呂敷包みを解いたのは崇教真光の女性導士だったが、ご老人の神の姿は見えていなかった。
折角においで下さった神に申し訳ない事をしてしまった。
この10日後に起きた阪神大震災の被災者の声を聞いて防災ラジオを作ったが、いろいろな事が巧く行かず1億円位の大損害をしてしまった。

1996年04月16日知人宅のトイレの扉に紙に手書きした「神示教会の十教訓」が貼ってあったので、この内容を崇教真光の信者達に教えれば、幸せ一杯な家庭を築くことが出来ると思い、深く学びたい想いで『大山ネズの命神示教会』に入信した。

1996年07月04日に自宅で『大山ネズの命神示教会』の女神様に、その日に依頼してある取引先の社長が前払いをしてくれるように祈っていたら、その女神様がお姿を現して下さって、「貴方の祈りの通り先方の会社の社長の心を変えましたよ!」と言って下さったので、ああ良かったと思った途端に、赤い顔の恐い顔をした男の神様が「そ奴に必要だからしているのだから、そうしてはダメだ!」とおっしゃって女神様を止めてしまわれた。
その結果は、社長は良いと言ったのだけれど、経理部長がどうしてもダメだと言って支払ってもらえなかった。

1996年08月31日上記の住職の声が回復しないので、手かざしパワーである程度に声の出具合を良くしたら、翌日から急に仕事の金回りが悪化して、不渡り手形を連続して出してしまい、会社が銀行取引停止になってしまった。

1996年10月13日に当社の商品を東京の知り合いが購入してくれるというので、倉庫として借りていた隣の伊勢崎市の道路を走っていたら、あり得ない巨大な空中看板に「浦島太郎伝説・竜宮神社」の文字と左向きの大きな赤い矢印を見せられ、交差点の左手前には絵本に書いてあるような竜宮城が建っていて、屋根の上には赤いネオンで「ラーメン大学」と書いてあったのを見せられた。
(翌日行ってみたら実際には看板も建物も無いのに。)
この日の夕方東京の知り合いの家に行ったら、その女性が「寒い寒い、内海さんが何かとっても大きなものをつれてきた、調べてみましょう!」と言って調べたら龍神の青龍様が「竜宮神社の裏がゴミで汚くされているので腹を立てている、綺麗に掃除して、酒と水を供えて詫びろ!」と言われるので、早速に翌日の14日に妻と知り合いを誘って掃除して、酒と水を供えて詫びたところ、氏子代表が来て、こんなに綺麗にしてくれて、と最敬礼してお礼を言ってくれた。龍神様がお礼を言うために氏子を呼んだのだなと感じた。
その後に写真を撮ったら巨大な龍神の顔と首と胴体が写っていた。

1996年11月07日崇教真光の秋季大祭の救い主様のご教示時に、スピーカーから聞こえる声の他に同じ声が聞こえて「これからのお前にはいろいろな事が起きるけれど、総てが主神の神鍛えだから苦しさに負けないでがんばれ!」と言われた。

1996年11月25日昼前に、少し風邪気味で気分が悪くて寝ていたが、仕事が絶不調で月末の大金の借り入れ返済の目途が付かなくて考えていたら、この年の7月4日にお姿を見せて下さった赤い顔の男の神様がまたお姿を見せて下さって、「お前に長い間お金の苦労をさせ過ぎたから、これからは苦労しなくても良くしてやろう。」と言って下さって、それから6ヶ月間は不思議な仕組みの連続で大金を回して頂けた。

1997年01月01日午前11時11分に岐阜県「一の宮」で、「あ111」の車に追突された。
1が十だから、今年起きる事の総ては1の神(主神)のお仕組みだと感じた。

1997年03月初旬、知り合いの紹介で、訪ねれば何でも知っていると言う、他の天体から来たという不思議な人に会い、竜宮神社の龍神様の話をしたら、「今の内海さんではまだパワーが足りないから、赤城山の御神水をコップに一杯飲んでからすぐに榛名神社に行き、そこのお手浄め所の水を、またコップ一杯飲みなさい。」と言われたので、そのようにした。
更に、封印されている龍神様を解放するのには、赤城の御神水と榛名神社の水を1対1に混ぜて水鉄砲のようなもので撒けばいいと指導されたので、竜宮神社に撒いた。
その直後から群馬県内の各地から、封印されている龍神様が救いを求めて来るようになったので、何カ所に封印されているのか調べたら50ヶ所のお寺の本堂の下とか神社の敷地内などが判明したので、20日から3泊4日で回って総ての封印を解いて龍神様を解放した。
その後は栃木県内の各地から龍神様の救いの依頼が来たので調べたら、栃木県内も50ヶ所の寺や神社に封印されていた。

1997年04月15日から3泊4日で栃木県内50ヶ所を回って龍神様の封印を解いて回った。
次は埼玉県内の番だと、埼玉県内各地の龍神様が依頼の連絡を寄こされたが、あっちこっちの龍神様の封印された罪を調べたら、ほとんどが共通しているので、直接現地に赴(おもむ)かないで、大神様にお詫びする方法を指導してみたところ、龍神様の積んできた罪を許して頂けて、龍神様が解放されたので、以後は既に許された龍神様に依頼して、全国各地の封印されている龍神様を解放して頂いた。
 
 ※ 各地の寺を回った時に、強く救いを求めてくる霊が沢山居たが、その方々のほとんど総てがその寺で修行して高い階位をもらっている僧侶達だった。
それらの僧達は、自分は沢山の修行をしてきたから、一般の者とは違うという高慢な意識を持っていたので地獄に置かれていたのだった。
しかし、その間違いを諭して、『幽界での修行の方法』の急所部分を指導すると、とても早く極楽に許されていった。
 

1997年05月17日、神の啓示で岐阜県に赴き、予定では17日に丹生川村の日輪神社に封じ込められている火の神3000名と、世界総本山の裏庭に封じ込められている水の神6000名と、宮村の水無神社に封じ込められている水の神3000名の封印を解くつもりだったが、道中にいろいろな出来事があって宮村のホテルに着いたのが夕方になってしまった。
結果的にはそれが良くて、宮村の水無神社で水の神3000名の封印を解いて解放してから、丹生川村の日輪神社に封じ込められている火の神3000名の封印を解いて解放してから、暗くなってから世界総本山の裏庭に封じ込められている水の神6000名を諭して、素直に応じた水の神が2800名がすぐに解放され、翌日になって600名の水の神が解放された。残りの2600名の水の神は崇教真光に対する恨みの心が強すぎて、その時には解放されなかった。

1997年05月18日、午前9時半から、位山中腹の太陽神殿で『天照日大神』をお祭りする「位山祭り」に参加させて頂き、昼の12時から御神示通りに、位山の頂上に在る『天の岩戸開き』をさせて頂いた。
『天の岩戸』の下の地中に封じ込まれていらっしゃった3000名の火の神様と、3000名の水の神様の封印を解いて、この世に出てきて頂いた。
封印されている神々に対して、なぜ封印されたのかの理由を説明して、神々の積んできた罪を大神様にお詫びして、行動を反省する指針を説明してから『天の岩戸』の周囲を、天津祈言を奏上しながら3周してから、持参した「赤城山の御神水」と「榛名神社の水」を半々に混ぜて水鉄砲で撒いた。
水を撒き始めたら、天の岩戸の大岩の接地部分の土が大きく割れて移動して、大岩との間が20センチくらい開いて、岩の下の天の岩戸を支えている基礎の石組みが見えて水を撒き易くなり、2週目には40センチも開いて更に深い所まで見えて、「ここまで御神水を撒いて下さい。」と言うようで、3週目には60センチも開いて、其れこそ深い所まで見えて御神水を撒けたのには本当にビックリした。
天の岩戸開きの儀式は丁度1時間掛かり、水を撒き終わって其処に封印されていらっしゃった神々が解放され終わったら、開いていた土は再び元のように閉まってしまった。
12時からの儀式を行う前に、天の岩戸の周囲に居た位山祭りに参加した大勢の方々に、12時から天の岩戸開きを行いますから一緒に参加しませんか、と声を掛けたのだが、地元の飛騨の自然を守る会の会長を始め、誰も残らないで展望台の方に行ってしまったので、群馬から行った4人の組み手だけで行なったが、最後の終了の挨拶が終わるまで誰も来なかったのも不思議だった。
挨拶が終了した途端に、開始前に声を掛けた方達がドヤドヤと天の岩戸の周りに集まってきた。
只、組手の内の1人の私の妻は、水撒きの時に写真撮影係をして貰ったのだが、最初だけ通り一遍に撮影してどこかに遊びに行ってしまったので、折角不思議な現象が起きているのに記録を残せなかった。
その妻は、6月1日の月始祭から帰った翌朝に脳内出血になって倒れ、少しの言語障害が残った。
それ時以来、合わせて6000名の火の神が出ていらっしゃったので、いろいろな隠し事(賄賂等の犯罪)が暴かれるようになり、9400名の水の神様が出ていらっしゃったので、いろいろな所で「愛」とか「愛情」と言う言葉が沢山言われるようになった。

1997年06月、日本列島に台風が襲来し、次々と3つの台風が群馬県を通るコースを移動してきたが、台風を運行している火の神と水の神が、私に5月に解放した際のお礼を言いたいというのでその度に挨拶したところ、台風は長野県内で消えてしまって茨城県に行ってから復活した。
火の神と水の神は今後は群馬県には台風を通過させないし、地震も起こさないと自発的に約束して下さった。
そのせいか、その後の2014年までの17年間は台風の被害は無い。
2007年正月以来の、毎年の冬にある日本全土が荒れた台風並みの大型低気圧の被害も、群馬県には何も無かった。有りがたいことです。

1997年07月、21回目の上級研修の受講を申し込んであったので車で世界総本山に向かったのだけれど、途中でいろいろなアクシデントが発生して時間が掛かり、本山に到着したのが午後3時になってしまった。
正午までに到着したのなら受講させていただけるのだが、今回は遅くなりすぎたのでお許しが頂けなかったので、受講を諦めて光神殿に行ったところ、地元の道場の懇意の方に遇った。
その方に崇教真光教え主岡田聖珠さんが体調が悪くなって、月始祭にでるのもやっとだと言う話を聞き、翌日に崇教真光の幹部の自宅を訪ねて伺ったところ、真実だという事が判ったので、解決法は解っていたので岡田聖珠さんの所に手紙を送ったが、何の返事もなかった。

1997年08月02日、崇教真光の8月の月始祭の御教えの最中に、聖珠さんの体に憑いている大勢の死んだ信者と、信者の先祖の霊達を、聖珠さんの身体から離れるように、真光では発見していない「今地獄にいる霊がたちまちの内に天国に行かせて頂ける幽界に於ける修行の方法」を諄々と説いて聞かせて、何万人もの憑霊達がたちまちの内に天国に許されて、一斉に体から離れたので、岡田聖珠さんの体調が急に楽になったのです。

1997年08月、原因不明で突如仕事が上手く進まなくなり、資金繰りに苦労すると共に、体調が思わしくなくなり首の上部が異常に固く凝るようになった。

今思えば、岡田聖珠さんに憑いて体調を悪くしていた沢山の霊を一方的に救ったことが『真理神理』に反していたので、『神』から戒告を受けて岡田聖珠さんのカルマを私に付け替えられて苦しんだと思われる。

1997年09月、社用の車を入れ替えたところ、ナンバーが「群馬77す9999」だった。
「77」を加えると14(十カミの四ヨ)で、「す」は主で、9999を加えると36(ミロク)になり、数字の合計が50(ゴット)になるから、主神の御用にお使いいただく車という事になる。
この車はそのごは実際に『神』の御用に飛び回る足として活躍した。

1997年10月の月始祭の御教えの最中に、岡田聖珠さんの体の濁毒の詰まっている急所の詰まりを流したので、岡田聖珠さんは更に元気になられた。

1997年10月、の或る日の事、1995年1月3日のお寺に行って、住職といろいろと話したら、具合が悪くなる前に、そのお寺で一番大きくて良い水が出る井戸を、建築の際に邪魔になるので4トン車1台分の砂利を入れて埋めてしまったというので、その井戸にいらっしゃる金龍様が怒っていることが判った。
早速に酒と水と米と塩を備えてお詫びをしたところ、住職も奥さんも私も身体が楽になり住職の声が正常に出るようになった。
後日に、この金龍様も赤城山と榛名山の御神水を撒いて、大神様に罪を詫びるご指導申し上げたら、封印から解放されて自由になれた。

1997年11月07日、家族揃って崇教真光の信者を辞めた。
崇教真光教え主である岡田聖珠さんの命を取ろうとしていた大勢の水の神達に「よくも邪魔をしやがったな!」と攻撃を受け続けて、経済的にも体力的にも大打撃を受けて困窮し、先輩の信者達も一所懸命に教団のために尽くした人は、全員が癌や心筋梗塞で死んでいる上に、自分も2年ほど前に自宅でご神体の前に寝ていながら心筋梗塞になり、心臓の調子が悪いので、これで命を取られてはかなわないという想いで崇教真光での学びを卒業した。

1997年12月29日、過労と心労で突然に強度の目まいがして起きていられなくなり、救急車で入院する。

原因不明だが3日間ほど入院して脳に異常はないことが判ったので、正月早々退院して自宅で静養する。完治するまでに2ヶ月掛かった。

1998年04月08日『大山ネズの命神示教会』に参拝に行って御神殿から出てきたら、塀の外で何万とも感じる人霊達に取り憑かれてしまった。
何故憑いたのかを尋ねたところ、自分たちも神にすがって助けて頂きたいのですが、信者の先祖以外の霊は、御神殿を守っている御神霊が中に入れてくれないと訴えてきたので、その場で御神魂にお願いしたら、直ちにお聞き届けて頂けて、助けを求めていた大勢の霊達のお参りがお許し頂けた。
その後は、信者以外の人も窓口に頼めば参拝できるようになり、信者に関係ない霊も参拝できるようになった。

1998年06月01日、以前から何となく64歳で節目がある啓示が有ったが、今日の誕生日に10年後の64歳で立教するという強い啓示を受けた。今はまだ何をするのか判らないが。

2003年04月13日崇教真光にないがしろにされている、水の神々のとても強い要請を受けて「崇教真光の教えの間違い」のホームページを開設した。
崇教真光の苦悩している信者達が次々に相談をしてきて、苦しみから解放されて喜んでいただく。

2006年06月01日神霊界では年齢の数え方は「数え年」の事に気付いて、満63歳の誕生日にあたり、親戚・友人を集めて立教宣言を行う。

2006年09月11日『真理神理』を具体的に説明するホームページと掲示板を開設する。

2006年09月24日の事、1997年10月にお救いした金龍様が、調子の悪くなった車の左前輪を守って下さっている所が写真に写って、その時から金龍様にも守って頂いているのを実感した。
本来なら走行不能になるのに、2000q以上無事に走って帰って来られた。

2006年10月15日、『真理神理』の研究会を発足して、毎月第3の土日に定期的な勉強会を開催する。
『大宇宙の総ての総てをお創り下さいました大元の光の主神様』に直結の勉強会となり、毎回の勉強会の最中に直接神示が下り、『神』の御光に溢れた素晴らしい勉強会となる。

2006年11月19日、『真理神理』の『お守り』を作ることを神に許される。
この『お守り』を見た霊は、直ちに『真理神理』の研究会に飛んで来て、そこで『魂の幽界での修行の方法』を学んで天国に行ってしまいます。
真理神理』の研究会の道場が世界唯一の救霊の場になったと言う事です。

2007年01月18日、『真理神理』の研究会の会員募集を開始する。
待っていましたとばかりに、崇教真光に疑問を持っている現役の信者と冬眠状態の信者が大勢入会してこられた。

2007年 3月 4日の事、大山ネズの命神示教会に20年以上も入っている信者の家族が、原因不明で身体が辛いのが治らないので、『真理神理』を学びに来て、その場でとても軽快になって、入会して帰られた。
この様に原因不明で体調が悪いのは、憑霊現象だから、憑いている霊達を救ってやらなくては解決しないのですが、神示教会ではその様な事を行わないために、信者を救う事が出来ないのです。

2007年 3月、17日と18日の『真理神理』の勉強会には、大勢の崇教真光の信者の方が出席されて、『真理神理』を学び、崇教真光教団の教勢が低下している原因を学んだ。
天津祈言が奏上の仕方で威力が違う事を体感し、伊都能売大国魂大国主祈言の意味不明な語句が解り、『神向き讃詞』の素晴らしさに感嘆して、参加者の霊格も格段に向上して、会員達が『宇宙創造神』から与えられた使命を体感した。

2007年 6月、16日17日の『真理神理』の勉強会で、16日の終了前に、米国から来た女性に強く障っている御神霊と、アメリカにいるボーイフレンドに障っている御神霊を諭して、罪を犯して霊力を低下させられて苦しんでいるのを救ったところ、今まで男性的だった女性の顔付きと体付きまでもが女性的に変わって、勉強会に参加していた一同が『真理神理』の素晴らしさに驚嘆した。
その女性は崇教真光教団の訓練部を出て幹部になり、教団の本部で15年間奉職していた方で、現在は自分で職を持って、ご奉仕も積極的になさっている方です。

2008年05月17日、岐阜県高山市一の宮の水無神社に於いて、『真理神理』の会員が、其処に封じ込められていた水の系統神を諭して、御神霊達が神界の牢屋から元の‘現津神界’に許された。
   
2008年05月17日、岐阜県高山市丹生川の日輪神社に於いて、『真理神理』の会員が、其処に封じ込められていた火の系統神を諭して、御神霊達が神界の牢屋から元の‘現津神界’に許された。

2008年05月18日、岐阜県高山市の位山山頂に在る‘天の岩戸’と‘鏡岩’に於いて、『真理神理』の会員が、其処に封じ込められていた火の系統神水の系統神を諭して、御神霊達が神界の牢屋から元の‘現津神界’に許された。
これらの一連の事は、人類史上初めて行われた、罪を負って封じ込められている御神霊を諭して、どの様な罪を負っているのか、どの様に反省しお詫びをすれば、『宇宙創造神』に許されて、元の神界に許されるのかを説いたものです。
   
この行事の様子は、参加者の内の14名が『真理神理』の掲示板に書き込んでくれましたので、その投稿をまとめたPDFファイルをお読み下さい。
  『平成20年 5月度『真理神理』の勉強会』←をクリックして下さい。

 その後の活動は、掲示板に沢山書かれていますが、壮大・遠大な、人類史上では成された事が無い、それまで成長が不十分だった大勢の御神霊を本来の力を持てる様に指導したり、神界でも人間界でも共通な『幸せ一杯な家庭を築く方法』を完成させました。
 今後は、子供の内に死んでしまう、大人になれない魂の救いと、生き霊の魂に力を付けて元の肉体に戻す事と、人霊の救いに力を入れていく予定です。
 
 2013年には、安倍内閣総理大臣の体調不良を治しています。

 雅子皇太子妃の体調不良の原因は判っているのですが、本人に知らせないでは行なう事は厳禁なので、宮内庁が受け付けないので行えないでいます。
 雅子妃については、2011年4月に葡萄っ子で堕胎した水子は救ってありますので、その分は症状が回復しています。
 お子様の愛子様が学校で学べなかったのは、学習院の敷地内に地縛霊がいて、その姿が見えたので怯えていたのです。
 地縛霊を救った後は学べる様になりました。

 雅子妃は2013年4月末からオランダにお出かけになりましたので、4月20日に取り敢えずご本人の魂に力をお付けしました。

 それらの様子は、下記の天皇皇后両陛下の記事の下に掲載してあります。


7月4日のお姿と、22日のお姿の違いをご覧になって下さい。



 美智子皇后陛下が首と腕と足の痛みで、長年お苦しみの事は、テレビ・週刊誌・新聞で御存知の方が多いと思います。

7月21日に私と弟子で特殊な治療をさせていただきましたので、とってもお元気になられました。

テレビニュースの映像です。

2013-07-22 ANN News


2013-07-04 FNN News

上記の写真は、テレビのニュース映像の一部分のコピーです。
拡大写真はこちら


雅子様を不調にしていた御霊達を救ったので、雅子様は全快されました
あとは体力の回復だけです。 

皇太子妃雅子様が長年に亘って精神的な面と体調が良くなくて、国民の皆様が心配していました。 

 この不調の原因は、霊的な障りですから、治して差し上げるのは、私と弟子の力ですと、割合に簡単な事なのですが、雅子様に信仰心が無いので、宮中の神事に参加した事が無い、と言う事で、神界から止められていたのです。 

 それでも、許される範囲で行なって参りましたから、その度に、少しずつ回復されました。 

 今迄に、雅子妃に関しましては5回行っていますので、その様子をご覧になって下さい。 

 第1回目は、平成23年4月21日に皇居前広場で行いました。 
 その時は、流産した水子を救いましたので、快調が半分くらい回復されました。 
 この当時は、愛子様が登校拒否に近い状態でしたが、その原因は、学習院初等科の土地建物に居た、地縛霊団の姿が見えたので、恐くて学校に居られなかったのです。 その為に男の子に虐められる等と言っていましたが、特定の男の子とは言わなかったのです。
 この土地建物にいた地縛霊達を救いましたので、登校できる様になりました。 
 この時の映像は記録はしたのですが、短いので見付かりませんでした。 

 この時には、宮内庁の東宮大夫に連絡をしたのに無視されたので、神界から許されなくて、ここまで切り出来ませんでした。 

 第2回目は、2013年の4月20日に、雅子様の魂に力を付けました。 
 4月末に雅子様が、オランダに行けるか、行けないかと結論が出ないで、宮内庁も困っていましたので、雅子様の魂を呼んで力を付けて上げましたので、無事に行って来られました。 

 第3回目は、7月20日に美智子様と雅子様を虐めている力を排除しました。 
 美智子様も雅子様も皇族から虐められていた事は皆様ご存知ですね。この虐めている方を支配している、代々の皇后を嫁がせている藤原家の先祖を呼び出して、諭して承知させて、障りを解いて貰いました。 
 どんな理由で障っていたのか、どんな理由で障らなくなったのか、お諭しの様子を御覧になって下さい。 

 第4回目は、10月6日に行いました。 
 雅子様が宮中の神事に参加した事が無い為に、神界から、障りをしている最後の方の救いを止められていたのですが、伊勢神宮の式年遷宮に東宮御所から遙拝をして祈られたので、ようやく『神様』からお許しが出て、障っている方々を救いました。 
 この為に、体調が本来の体調に戻られたのです。 
 伊勢神宮とか明治神宮の神々が力を併せて、皇太子妃に男子を御懐妊される様に一所懸命に働いていますので、この冬に御懐妊出来るか楽しみです。 でも肉体的には、ちょっと遅いですね。

 この後は、天皇家では古代から内紛が有りますので、それらの争い事を無くす様に、10月20日に霊的な大掃除をしました。
 映像は載せて有りません。

 5回目は、11月17日に、皇太子殿下と雅子妃殿下の身体の急所である鳩尾部分の詰まりを流して、リンパの流れを改善して体調が向上する様にしました。
 

皇太子妃 雅子様に障っている方に対し
勉強会中に行ったお諭しの様子です。

文字や画像をクリックするとプレーヤーが開いて動画が再生されます。

平成25年11月17日
中級者勉強会
皇太子様と皇太子妃雅子様の
身体の癒しを行いました
平成25年10月6日
東京都特別勉強会
皇太子妃雅子様に
障っている方のお諭し
平成25年7月20日
中級者勉強会
皇太子妃雅子様に
障っている方のお諭し
平成25年4月20日
『真理=神理』の勉強会
皇太子妃雅子様の
魂に力をお付けしました。
平成23年4月21日
皇居前広場にて
天皇家および雅子様に
障っている方のお諭し


 
Icon 氏名/ニックネーム
内海間嵯男(うつみ まさお)/金生 麗水(きんせい  れいすい) 
Icon 性別
男性 
Icon 住まい
群馬県前橋市在住です。
Icon 真光の経歴
19082年11月に群馬中修験道場にて入信、中級研修時まで28名お導き、上級研修を連続10回ずつ、2回、合計20回受講した。初級研修、中級研修は数えきれず。お導き数は70名。
 平成9年に2代目教え主の聖珠さんの命を救った事が『真理神理』に反していた事から、聖珠さんのカルマを私に移されてしまい、体力と財力に大打撃を受けたので、堪らずに平成9年11月初頭に自主退団した。
 しかし、聖珠さんの命と引き替えに受けたカルマがとても大きかったので、その後の6年間程は経済面などでとても大きな苦労をしました。


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開 設 2003年04月13日
追 補 2024年02月25日